誕生日を祝うことへの違和感…輪廻と片道切符

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幼少の頃から違和感をもっていた

『お誕生日おめでとう』

 

人それぞれ意見は色々あると思うので別にどうでもよいのだが

『お誕生日おめでとう』

と言って祝うのはいかがなモノか…と思ってしまう

 

何故かというと、

一生という時間は、1本の時間上(誕生→死)に存在しているモノだと考えてしまうからである

 

暦というモノが出来てから、種まきの時期や雨季乾季の時期、そして収穫の時期などを人類は知るようになった

…いや、そういう時期を知るために暦というモノを発明した…の方が正しいか…

宗教的な部分で、太陽信仰や輪廻転生など、

『生まれ変わる』

という希望に絶大なるパワーや希望、助けや救いを求めるという考えがあるのは十二分に理解できる

ボクもそういう考えにはどちらかといったら肯定派である

 

毎年、誰にも訪れる

『お誕生日』

コレもある意味そういうところから発生した考えなのか…とは思う

しかし、この考え方でいくと、時に

周囲からのプレッシャーを感じたり…

優越感を感じたり…

劣等感を感じたり…

成長を感じたり…

老いを感じたり…

色々と面倒ではないか?と思ってしまう

 

毎年、決まった時期に、必ず自分の節目がやってきて、去年の自分と見比べて、優劣を計り、来年の抱負を考え…

そんな人生忙しすぎて大変ではないか?

 

人生は1度きりで、1つの時間上に自分が存在している

ということを考えて生活をすれば、時期とか年齢などを考えずに自分に似合ったスピードでそれなりに楽に、楽しく人生を過ごすことが出来そうな気がするのはボクだけであろうか?

 

変に背伸びしてしまう人や周りと空回りしちゃってる人が最近多く感じていて

そこに決まって出てくる「年齢」という枠

誰がどのように時間を使いどのように成長してきたか…なんてみんなバラバラなんだし

それを偏に「年齢」で括ってしまうから…その人がその人らしく生きられなくなっているように感じている

 

逆に年齢を感じさせない人…こういう人はおそらくだが、年齢というモノを気にしていない…と思う

年齢は気にせず、今出来ることをやる、自分が出来ることをやっている…そんな気がする

そういう人に限って、人生を結構たのしく過ごせていて、結構多い付き合いがあって、会えば元気もらえるし、会わなくてもその人のことを考えているだけで楽しくなる…

つまり、その人の存在が皆の活力になっている…そんな気がする

 

…そうか…『お誕生日おめでとう』を求めてしまう人は

何かにすがりたい…何かに頼りたい…という希望を持ち続けたい人種なんだな…

なんか今ピーンと気が付きました

 

逆に1つの時間上で人生を過ごしている人は、行けるところまでいく、やれるものをヤル…そういう考えなんだろうなぁ…

こういう人はやはりひたすら徳を積み、気が付いた時には素晴らしいタイプの人間になっている…

希望ではなく結果がついてくる…誰も何も揺るがすことが出来ない「結果」

結果は確かなモノなので、それが成功でも失敗でも、確実な自信につながるもんね

自信を沢山持ってる人ならば、活き活きとして若々しくて、いつも素敵な人でいられますもんな

 

実は…一つの時間上に生きている…と考えれば、1分・1秒が二度とない特別な時間になり、人生のすべてが自分の特別な日…というように考えられます

 

もう繰り返せない一方通行の道…

リセットなど出来ない人生

 

ボクは基本的に『お誕生日おめでとう』には異を唱えたいタイプの人間です

面倒なモノにとても違和感を感じるタイプの人間です

筋が通っていない、筋が解らないことに関する違和感を持ったら、解るまで謎解きを繰り返すタイプの人間です

色々考えますが、それを時間という枠で区切ってしまうのを嫌がるタイプの人間です

だから「時間の使い方が下手」だとよく言われます

仕事が遅いとよく言われます

しかし自分はこの考え方が一番シックリきて、一番自分らしいことが出来るので、この方法を崩そうとは考えません

他人と比較するなど愚かなことは考えません

何故なら、ボクは自分の人生という時間を生きているという実感をもって生きていますから。

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