本物には、本物たる根本が必ず存在する
偽物には、本物とは違い根本が存在しない
解っている人…違ったニュアンスで如何様にでも説明出来る。つまり自分のモノにしている。
これは確実に本物。
解ったつもりの人…説明出来るが、違ったニュアンスでは説明出来ない。つまりまだ自分のモノにはしていない。
これは確実に偽物。
否定意見を呑込み、幾つもの道筋を考え最善のモノから最悪のモノまで順位を付けられる人。
思考が柔軟で、揺るがない根本をしっかりと持っている=本物。
否定意見を跳ね返し、絶対を信じきって1つの事しか考えられない人。
思考をせず、楽な道ばかりを選び根本が何なのかを知ろうとしない堕落もの=偽物。
本物と偽物の見分け方として、
本物は輝きと落着きを放っている
偽物は胡散臭さと焦りを放っている
本物は静かに腰を据えている
偽物は喧しく暴れている
本物は偽物を受け入れる
偽物は本物を受け入れない
講師をやっていて常々思う事なのだが、最近の世の中には偽物がとても多く、偽物が偽物を更に増やしていく残念な光景を良く目にする。
このままでは多勢に無勢で本物の存在が消えてしまう気がしてならない。
思考を諦めた人が多すぎる。
与えられた情報を鵜呑みにする人が多すぎる。
己を信じない人・過信する人が多すぎる。
まぁ、これも時代の流れと考えれば致し方ないかもしれないが…
しかし性格がSな自分にとっては、根本を知らしめる相手が増え、それがある意味楽しみであることは確か。
まったく…こんないやらしい性格をしている自分に飽きれてしまう。