花燃ゆで再認識…考える事の大切さ

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今年の大河ドラマ
『花燃ゆ』で今回、吉田松陰先生が仰っていた事
『何もしないという恐怖』
という言葉が出てきましたね。

ボクは知らず知らずコレを実行していたから、
急にハッとしました。
けどボクの場合は、何もしない恐怖ではなく
脳を使わない(考える事をしない)のはモッタイナイ
死んでからでは脳は使えないんだから、生きてる間に存分に脳を使って下さい…
と常日頃レッスン生に話しております。

アプローチの仕方考え方の方向は若干違うかもしれないけども、結果としてはイコールですわな。

なんか、人間の脳は一生分を記憶する容量があるらしいので、
パソコン大好きなボクとしてみたら
そんな大容量のHDがあるなら存分に使ってやりたい!
と思ってしまうんです(ノ´∀`*)

まぁそんなことはさておき、
考えること、脳を使う事は大切なのですが
何故、考えないっていうのが恐怖なのか…?モッタイナイのか…?
というところ。

コレを聞いて解る人は、ピーン!といま何かを感じているでしょう。
解らない人の為に解説すると、
まず、人間にはそれぞれ時間が限られているということ。
次に、考えない時間を過ごすと、常に考えていた場合と比べれば最終的に脳をその分使わなかったということになり、折角使えるモノを使い切れなかったというただの宝の持ち腐れになってしまうということ。
結果的に、徳が浅い人間になってしまう…というモッタイナイ残念さだけが残ってしまう。

なので、考える事が出来る時間があるのであれば、それを存分に使ってあげないと、ただ社会に生かされているだけのツマラナイ存在に成り兼ねないので注意が必要。

脳も筋肉と一緒なので、普段から使っていなければ中々うまく使いこなせないし、衰えていく。
だいたい、考えるのが面倒とか、何も考えつかないと言っている人は、普段から考える事をしていない人。
考えなければ次に何をするのかすらも決まらないのでボーッとテレビ見ちゃったり動画見てテキトーに笑ったりしちゃう。
これってホントに人としてモッタイナイし、堕落の一途を進んでしまうし、益々動けなくなって頭でっかちになっちゃうし、気が付くと鬱病になったりしかねないから結構危険な行為だと…ボクは思います。

良く言われるんですが『そんな風に考えられないんですけど、どうしたら良いですか?』
そう言う時ボクはすかさず『今からでも遅くないので、今この時から考えるというコトを行って下さい。1週間もすればボクが言ってる意味が解ってきます』と。
ホント、考えるということをしないと、ただ答えを聞いてそれでOKみたいな堕落した人間になってしまう。
で、そういう人ほど、声が大きく、態度がデカく、スグに威圧ということをし、相手を萎縮させ、自分が間違ってないことを主張する傾向にあり、常に何かしらのストレスを感じながら生きている。

しかしいつも考えている人は逆に、威圧をせず、相手の意見を受け止め、自分の意見にすら疑問を持ち、果たして答えは何なのか?ということへの探求を惜しまない建設的な会話が出来るので、時が止まらない、そしてスピーディーであり、争いも起こる事は数少ない、そして何より、常に楽しそう。

不思議ですよ、何故考えている人と考えてない人ではこうも真逆になってしまうのか…。
考えているのと考えるのを諦めるのでは、
どちらが醜くどちらが素敵なのか
どちらが苦しくてどちらが楽なのか
もう一目瞭然なんですよね…。

人それぞれ色々な生き方があるので、何が正解で何が間違っているのか…ということは一概には言えませんし、それを公言することはつまり自分以外を否定してしまうことになるので言いませんが、
ただボクは、考える事をしない人に対し『モッタイナイ、残念だな…』と感じます。
それが良いのか悪いのかということは別として…。

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